永久ライダーエジプトへ行く






 あれは湾岸戦争直前の頃、以前の勤務先の友人Sから誘われ、エジプトへの旅に出た。もちろん大いに興味もある。ピラミッド、スフィンクス、王家の谷・・・でも本当は当時つき合っていた女性からふられた傷心があった。そして何故か子供の頃に見た映画「アラビアのロレンス」の中のような本物の砂漠を眺めたくなったのだ。(キザ?)

 成田空港の北ウィングからエジプト航空の機内に搭乗する。自国に整備工場を持たない(持てないかも)航空会社である。アラビア語で機長からの挨拶と注意事項(たぶん)があり、日本人パーサーからも続いて放送があった。しばらくして轟音とともに離陸、中継地マニラへ・・・

 マニラとバンコクで給油と客の乗り換えがあるせいか、やたら食事が多い。イスラム教の戒律の都合上、豚肉とアルコールは禁止。生臭いフィッシュかビーフのどちらか。同じ料理なので飽きて来る。

 アラビア半島上空では、湾岸戦争数ヶ月前だけあって、何となく不穏な空気が漂い乗客も不安がっている。1ヶ月後、イラク軍による民間航空機撃墜事件が起きるがこの時は知る由もない。乱気流でガタンガタンと不気味に揺れる。成田から21時間、カイロ到着。気温摂氏10度、意外に寒い。

 空港のトイレに行くと漢字で「便所」と書かれていた。トイレにはチップ目当ての男が手を洗ったタイミングを見計らってティッシュを運んでくる。相場の30円ほどのチップを払おうとしたら500円分の札を渡してしまい逃げられる。コンコンチキめ。


友人のS

 一度ホテルで小休止し、早速ピラミッドに向かう。やっぱり感動的である。あたりは砂漠(でもその周りはビルと住宅地に囲まれている)である。ピラミッド手前で現地人に誘われるままラクダに乗ってみる。意外に気が荒い動物なのね、ラクダって。チップ(チップ制度が大嫌いなので海外はあまり馴染めない)を払いクフ王のピラミッドへ。内部は湿度が高く通路が狭い。螺旋状の階段だった。

 スフィンクスに向かう。生活排水で土台が傷み今世紀中(20世紀)に崩れ落ちると言われていたが2000年の今もどうやら大丈夫だったようだ。朝は寒かったが昼は26度ぐらいにはなる。でも空気が乾燥していてとても爽やかだ。ホテルで夕食をとり早めに就寝した。

 朝、やすらかに寝坊したが、なんとか国内線の旅客機に乗り込みルクソールへ。機内で日本人国連職員に現地人と間違われる。俺はアラビア顔なのか?ルクソールの王家の谷は多くのフェラオの墓(確か64墓)がある。盗掘の歴史だ。就中ツタンカーメン王の墓が超有名である。現在、内部は非公開のようだが当時は入室可。壁や天井にきらびやかな装飾が施してある。奥の玄室には王のミイラがやすらかに眠っておられる。その後女王の谷も見学したが後の1997年、テロリストにより、日本人観光客数名が射殺された悲劇の場所である。帰りはナイル特急でカイロに戻る。トイレが壊れていて悲惨。便器の中がうん○でピラミッドになっていた。

 翌日、カイロ到着。有名なカイロ博物館に向かう。10万点以上のコレクションを誇り、すべてを見尽くすのに数日はかかるという。続いてモスクバザール(市)を見学し、外人専用の豪奢な観光店に入った。ロス五輪の柔道競技決勝であの山下選手と戦ったエジプトのサムライ・ラシュワン選手の実弟が店員をやっていた。でかくてがっちりした男だ。彼も柔道の国際試合に出場しているそうだ。

 昼食は、カイロ唯一の中華料理店に入る。砂漠型の気候では中国野菜を栽培することは不可能である。そこで現地のモロヘイヤ等をうまくアレンジして調理していた。それでも餃子、中華スープ、ご飯など、懐かしい気がして旨い。ちなみに日本料理店はカイロに存在しない(たぶん現在も)

 エジプト最後の夜はナイル川ディナー・クルーズ。ショーでベリーダンサーの女の子から指名されたらジェントルマンとして決して断らずに一緒に踊らないといけないとか。嫌な予感がした。こういうシチュエーションになるとなぜか俺は確率を超えて指名されるんだよな〜。ラシュワン弟ともここで再会し歓談しながら食事を楽しんでいるうちにショー開幕、やっぱり俺んところに向かってダンサーが来た。案の定指名される。上等じゃねえか。やるときはやったる。馬鹿みたいに踊っていると同行のSから「盆踊りみたいだよ」って言われる。でも会場は肌の色を問わず大爆笑と拍手喝采じゃないですか。外人客の女性からホッペにチューまでされた。ざまあ見やがれ。永久ライダーが本気を出せば国際的にうけるのだ。そしてベリーダンスでエジプト最後の夜を飾り、翌朝、万感の思いを胸にカイロ空港を飛び立ったのであった。 

 でも永久ライダーの俺には、やっぱり北海道ツーリングの方が合ってるかもね!(笑)


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ピラミッドを近くで見学すると表面がかなりギザギザで意外だった。
大昔は、滑らかだったらしいが、後年侵略者に荒らされ、
表面の大理石が何かの材料になったそうな。



有名な王家の谷の「ツタンカーメン王の墓」
中は、きれいな装飾がなされていた。
玄室では、王のミイラががやすらかに
眠っておられる。
現在は見学不可らしい?



イスラム寺院
コーランの響きが何ともいえない
郷愁を漂わす。

貧富の差が激しいイスラムの国で、金持ちの結婚式に遭遇。
何と金の小粒を大量にばらまいていた。




記事 北野一機



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