リメイク版



2005年残炎の候 日本最後の秘境シリエトクへ徒歩で目指す男たちがいた!











 8月2日深夜 尾岱沼青少年旅行村キャンプ場にて

 雨上がりの静かな夜だった。ぼくは瓶から直接ちびりちびりとウイスキーを飲みながら、自己との葛藤を繰り広げていた。

 本当にぼく程度の力量で人跡未踏のシリエトク(知床岬)まで踏破できるのだろうか。ぼく自身は命を落としても後悔はしないが、妻子を路頭に迷わせるわけにはいかないだろう。

 実は今回、掛け捨ての旅行傷害保険にも加入してきた。以前、キンムトーで遭難しかかったとき、ろくに生命保険へ加入していない事実に気づいたからだ。家のローンはあと18年もあるし。

 旅の直前、家人へ保険証書を渡してきた。
『ぼくになにか遭ったら使ってくれ。数千万はおりる』
「あなた死ぬ気で行くの?どうしてそんなに知床岬にこだわるの?」
 家人は少し泣いていた気がしたけど、ぼくはわざと目をそらしてしまった。

『知床岬、つまりシリエトクを踏破することが、ぼくの長年の夢だったんだ。そのためにずいぶん周到に調べたし、身体も相当鍛錬したつもりだ。大丈夫、必ず無事に還ってくるよ』
 ぼくは無理矢理笑って家を出た。今回は結構シビアな旅立ちだった。

 ぼくは口先だけの男ではない。人呼んで北のヨッパライだ。 もっ、もとい、北のサムライだ。やるべき時は最後まで必ずやる。いや、やれるんじゃないかな?やれるかもしれない?

 ただし・・・

 道なきルート、エゾシカを滑落死させるほどの超スペシャルな難所やヒグマがウジャウジャと闊歩してるシチュエーション・・・

 正直、怖ろしい。

 大袈裟とか思う方もいるかもしれないが、この時のぼくはかなりビビっていたし、時間帯がずれるとルートが水没し、波が押し寄せてくるポイントもある。本当は無事に生還できる自信も100パーはなかった。

 熊に喰われたら、どうしよう?

 垂直の壁、念仏岩から滑落したら、どうしよう?

 もう、40も越え、妻子があり、ある程度の社会的責任もある人間が、普通は考えもしない行動かもしれない。

 反面、心の半分は長年の夢であるシリエトクへはなにがなんでも行きたいと熱望している。

 中略・・・

 8月3日 国設知床野営場にて 
 テントへ入った。一応、繋ぎ目にはことごとくセメダインを塗り防水対策をとった。今も雨は降り続いているが、もう雨漏りの心配はあるまい。

 飲みかけの焼酎を出し、チビリチビリ口に含んでいると睡魔が襲ってきた。

 いよいよ明日は相泊の熊の穴で札幌のAOさんと合流だ。ここまで来たらやるしかねえな。

 人跡未踏の知床岬踏破の軌跡を!
  知床岬出撃まで、あと2日。

 北野一機。人呼んで北のサムライ。妻子あり。日常ではそれなりの社会的ポジションや責任もあり。莫大な住宅ローンもありき。

 極めてリスク多し。

 今までずっと心中の葛藤が続いていた。

 だがぼくは腹をくくった。

 必ず生きて還ってやる。

「体を張る」
 口先だけでなら簡単に言える。しかし、現実に実行することは覚悟が必要だ。これからぼくが決行する知床岬へのルートには道もなく難所ばかりの禁断のコースだ。ぼくと同じことをしてみろと人へは絶対に勧めない。むしろ止めて置いた方がよいだろう。

 日本最後の秘境「知床岬」。人跡未踏の羆の過密地帯を突破してのみ成立する。襲われて命を落とすかも知れないし、絶壁から滑落するやも知れん。それでも男が一度口にしたことだ。ぼくを批判したいヤツは安全な場所から好きなようになんとでも言いたまえ。

 知床岬踏破など大袈裟だ。誰だってできる等々・・・

 もし、このアクションを完遂しても事後になって、実行してないくせに陰口をいう口舌の徒らが出現するのは自明の理である。また世界遺産登録の年にシリエトクを目指すのだから、環境団体からネット上等での圧力がかかるのも覚悟の上だ。どうせ、そうなることは、知り尽くしている。

 ただ北のサムライは、体を張るべき時には潔く張るのみ。

 機は熟した・・・

 これより、真の男「北のサムライ」の肝っ玉とシリエトクアタックの神髄をお見せします。

 テントにはずっと雨音が鳴り響いていた。

 とてつもなく長い夜である。

 8月4日朝 国設知床野営場にて

 管理人さんにお世話になりましたと挨拶を済ませ、ヨロヨロとゼファーは動き出した。まだ人通りのないウトロの街並みを過ぎ、知床横断道路に入った。交通量も少ない。ワイディングを楽しみたいが、あまりにも荷物が重過ぎてフルバンクするのが、とても怖かった。

 ウトロ側のセイコマへ到着。これより先に売店はない。岬踏破に必要なものをここで買い揃える。レトルト食品、行動食となるべき副食物、スポーツドリンク、酒、煙草等々。








 羅臼側の半島に沿う道を相泊へ向けてマシンを走らせた。羅臼の海はとても穏やかだった。昆布を採る漁船が沖を行きかう。そしてセセキ温泉、相泊温泉を過ぎ、食堂「熊の穴」へ到着。なぜかもの凄く混み合っていて、マシンを停めるスペースもないくらいだった。

 食堂「熊の穴」へ入る。たくさんのお客さんが居たが、座敷のテーブル席が空いたのでそこへ座った。オーダーしたのは名物「トド焼き定食」だ。
 トド焼き定食を待っていると札幌のAOさん登場。彼は昨年の一次隊にも参加した超貴重な戦力だ。いや〜お久しぶり。今回は岬へつき合っていただきありがとうございます。

「なんか頼んだ?」
『ええ、トド焼き定食を頼みました』
「俺はラーメンでいいかな」
 知床岬第一次隊員のAOさんは、もう熊の穴のおやじさんとかなりツーカーらしく、冗談も交わし合っていた。







 トド焼きをおばさんが、運んできた。

 鉄板に乗ったトド肉はジュージューいいながら、かなり美味そうだったが、そのままではナマ臭いというかクセが強過ぎる。特製のタレをからませるとかなりいける味だ。俺は生ビールを飲みながら、それなりに美味しくいただいた。AOさんが食べていたラーメンも美味そうだった。

 熊の穴にはライダーハウス(以後RH)があり、今夜と踏破後に宿泊する予定だが・・・

 うちのサイトを以前からご覧の方はご存知の通り、思うところあって現在はRH利用は自粛している。でも今回は特例としてお世話になるしかない。

 RHへAOさんと荷物をどんどん運び込んだ。また他のお客さんがくると迷惑になるので、明日からの準備を早めに済ませて置いた。とにかく細かく、忘れ物のないように持参物を入念にチェックしながらメインザックへ詰め込んでいく。

 うっ、この作業をしていると流石に明日からの知床岬踏破へ向けて緊張感が高ぶってくるのだが。

 知床岬踏破の準備が終了した頃、チャリダーが現れた。大学を出たばかりだが、仕事を辞めて北海道を旅しているそうだ。
 AOさんとチャリダー、そして俺の3人で食堂「熊の穴」へ夕食をとりにいった。

 俺はマス定食にしたが、とても美味しかった。今シーズン獲れたてらしい。小鉢には「イクラ」もついていて、かなり満足した。

 AOさんが帰りの船の交渉をおやっさんとしている。7日15時に成田さんち(昨年はここ)の隣の小倉さんの番屋でということで成立した。
「でも忘れたらゴメンナ」
 おいおいオヤジ、それだけは勘弁してくれ。所詮、知床岬踏破者への迎えは、釣り客を回収したついでのことなのではあるが、ついででも帰路はあんただけが頼りなんだよ。
「いや〜、最近ボケて来て、忘れることが多いんだよ」
 どこまでが冗談で、そして天然なんだか?ぼくには判別がつかなかった。ただ、おやっさんに忘れられてしまい帰りが1泊順延してしまったパーティも本当にあったらしい。

 AOさんがペキンノ鼻の質問をした。
「あそこは遠巻きに迂回するか正規のルートを辿るしかないのかい?」
 去年も第一次隊が山中で4時間も悪戦苦戦したポイントだ。

「なんも、海面すれすれの岩をへつれ(岩にぶら下がりながらトラバースしろ)。大丈夫、へつっていけるよ」
 まったく、熊の穴のおっさんの情報は当てにならん。翌々日、痛い目に遭うことになるとは、この時は知るよしもない。

 ここのオヤジは女にだけ甘いとか、単独入山者へは烈火のごとく怒るとか酷評する人も多いそうだが、ぼく自身の感想としては、羅臼の漁師らしく、朴訥で人のいいオヤジだ。もともと知床岬までの単独縦走は、あまりにも危険過ぎるため禁止されている。なにか遭ったら地元の人々に大変な迷惑をかけてしまう。つまり怒られてあたりまえなのだ。

 RHへ戻った。

 AOさんは朝が弱いので、4時半へ起こしてもらいたいと言っている。
『大丈夫、俺は朝が強いんで起こしますよ』
 
 ぼくは自信たっぷりに答えるが・・・

 でもその後にやって来た関西系のライダーとぼくは、すっかり意気投合してしまい、12時過ぎまで酒宴を続けてしまうのであった。

 4時半に起きれるはずもなし・・・

 明日はいよいよ人跡未踏のシリエトクを目指す。

 大丈夫かよ???

 チャリダーくんやAOさんは、ぼくのヨッパライダーぶりにかなり呆れていたようだ。

 そして、いつの間にかぼくは平和そうな寝息を立てながら爆睡していたそうな(笑) 

 知床岬突入まで、あと数時間!

 やっぱりぼくには緊張感がなさ過ぎるようだ。







HOME  TOP