裏磐梯キャンプツーリング2009 ver.2







 8月30日 いや、深い意味なんかないんだ。先日、ブログにスノピのツーリングテント、トレイルトリッパー2の記事を書いたら無性にキャンツーがしたくなってしまった。思い立ったらマシンに火を入れる。これが俺の昔からの旅のやり方だった。

 キャンプ道具は、お盆以来、ほとんどそのままになっていたので、トレイルを追加し、パッキングするだけだ。あっという間に準備が整う。
 あとひとつ、やって置きたいことがあった。ETCの装備を取り付けてから、ひと月以上経つのだが、俺はまだ高速道路を走行してない。非常にもったいないことだ。などと思いながら、自宅から出撃した。近くのホムセンで、ネジ式のガスカートリッジを購入して、ついでに駐車場で1枚画像を撮影。それが上の画像だ。チェーンへオイルを注し、スロットルをあげた。

 なんだか腹がへってきたので、松川IC近くの食堂で、ラーメンを食べた。薄っぺらな味にがっかりしながら、ETC専用ICのゲートをくぐった。

 まあ、まずまずのお天気の中、心地よく東北道を突っ走る。そしてすぐに安達太良SAへ入った。
 安達太良SAは週末だけあって、それなりに混み合っていた。煙草を吹かしていると、オフ車が隣にやってきた。特に言葉を交わしたわけじゃないけど、なぜか熟練の旅系ライダーの匂いがした。彼も俺の荷物の多さに驚いていたようだが、すぐに携帯に眼をやり、メールを打ち込んでいる。

 さらに、がっちりとしたアメリカンスタイルのバイカーもやってきた。なんだかキョロキョロとあたりを見渡している。SAって、流れ者が集う西部劇の酒場みたいでおもしろい。
 煙草を1本吸い終え、携帯灰皿へ吸殻を入れ、再びスロットルをあげた。気温は暑くもなく寒くもない適切な状況で、とても爽快である。やがて郡山Jctから磐越自動車道へ乗り換え、会津方面へと向かう。途中、長いトンネルが続くがパニック生涯を克服した俺は、あまり気にならず猪苗代ICのETCゾーンより高速から降りた。

 しかし、料金の6百円には驚く。週末は一律千円と思い込んでいたののだが、オートバイは軽車両扱いだから、さらに格安になるらしい。高速料金がレイクラインやスカイラインよりも安いって、なんと有り難いことなのだろう。今まで遠方からEOC福島へ参加される方の高速料金のご負担などを鑑みると、正直胸を痛めていた。でも、これなら今後もいけそうだ。

 猪苗代から裏磐梯に抜ける慣れた道のりをのんびりと走る。途中、過積載のツーリングライダーと何度もすれ違った。彼らも間違いなくキャンプツーリングだろう。今宵は、どこで幕営するのやら。とにかくお気をつけて。

 五色沼を過ぎると、どんどん桧原湖畔へ近づいてくる。途中、コンビニでアルコール及び缶詰などの食料を調達し、再び始動した。すぐに桧原湖が見え、ゴールドラインの入口まで到達し、道の駅裏磐梯の方角へ右折する。

 今回は、道の駅に寄らずにママキャンへ直撃しよう。なんて思っているうちに管理棟前に到着。

「あら、バイクの音がするわ。キタノさんじゃないの」
 建物の中から、おばさんの声がした。
『こんにちは。今夜もキャンプさせてください』
「キタノさん、あんた北海道にも行けないぐらい忙しいのに大丈夫なのか」
 おじさんが、心配そうな目つきで俺の顔を見つめている。
『今週は休日出勤がないから大丈夫です。それより、水位がずいぶん下がったね』
「ああ、どこでも好きなところにテントを張ってよ」
 左側の奥の方にファミキャンが2グループほど幕営していたが、いつもの正面のサイトは誰もいない。つまり、貸切状態となった。
 乗り入れも可ということなので、できるだけ湖に近いビューポイントへ愛機を進めた。ここらで設営するか、湖面を眺めながら一杯やったら、さぞ心地よく酩酊できるだろう。とにかく、このエリアに誰も居ないロケーションって最高だ。

 荷物を下ろしてすぐに幕営の準備をしようとも思ったのだが、この絶景を今暫し楽しみたくなり、煙草に火をつける。何度訪れても本当にいい眺めであった。
 さて、本日投入のテントはスノピのトレイルトリッパー2だ。ツーリングテントとしての完成度は高い。ただ少し重いのが難点である。

 缶ビールを取り出して飲みながら、のんびりと設営していく。ラインテープへポールを固定して、インナーを取り付ける。そして、フライシートを被せて、フックへかけて、ペグ打ちを済ませ完了。テントを立てた後の充実感にひたりながら煙草を吸った。ビールは既に2缶めに突入していた。
 タープの下で、米を炊き、ビールを飲みながらラジオのチューニングダイヤルをまわしていると、おっ、ついにHBC(北海道放送)の周波数へヒットしたぞ。トマムでお祭りがあるのか?なんて道内情報を聴きながら悦にひたっているうちにクッカー炊き終了。牛缶と漬物という質素なおかずだけで夕食を済ませる頃になると陽がどっぷりと落ち、真っ暗になった。そこで、ガスランタンを三脚に吊るすといい具合に周囲を明るく照らしていた。この雰囲気が野営の醍醐味なのだ。
 酒がビールからウイスキーへ切り替わる頃、前室から寝室へ移った。ウイスキーをちびちび飲みながら、歴史小説を読むも、どうしたことか、この小説、固すぎて少しもおもしろくない。文章に人を惹きつける魅力がなかった。活字中毒の俺にしては珍しいことだ。

 本を投げ出してシュラフへ入った。いろいろなことが思い浮かんでは消えていく。ひとりのキャンプじゃないと絶対に考えないことばかりだと思う。

 俺は直球のみで愚直に生きてきた。ただ、それだけでは通用しない時代になっている。常に如才なく、ときには謀略じみた策を用いながら変幻自在な世渡りなどできようはずもない。でも、いつの日か誠意という言葉が再評価される時節が、やがて到来すると信じている。自分の中に流れる旧会津藩士の血が雄弁に語りかけてきた。

 そして、いつの間にか深い眠りの中へ・・・
 8月31日 俺としては珍しく寝坊した。時刻は既に7時をまわっていた。ふらふらと起き出して、炊事場に洗顔しに向かった。なんだか頭が痛い。夕べはかなり飲みすぎたか?

 朝食はコンビーフとロールパン、コーヒーで簡単に済ませた。しかし、久々に食べたコンビーフって、こんなに美味しいものだったっけ?

 食後は、ひたすらテント乾し作業に専念した。
 そして撤収作業をちんたらと開始する。一区切りを終えては煙草を一服の繰り返しなので、ぞんがい時間がかかった。時折、管理棟からおばさんが心配げに俺の姿を見つめていた。結局、2時間も費やし、パッキングを完璧に済ませる。本当に俺の撤収作業は遅すぎる。

 暖機しながら、管理棟へマシンを進めた。
「明日は仕事かい」
『ええ、気は重いのですが』
 料金をおばさんへ支払う。
「キタノさん、本当は苦労してるのでしょう。無理してまで、うちにキャンプに来なくてもいいんだよ。少しは休みなさい」
『え、なんでまた?』
「どこか病んでるじゃないの?痩せ衰えていく、あなたの姿、見るに忍びないの。お爺さんもびっくりしてた」
 気のせいか、おばさんの瞳が少し潤んでいるいたような気がした。
『大丈夫です。逆にここでキャンプして元気をもらってるよ』
 と、いいながらもこんなに心配してくれるお客思いのおばさんの人情に熱いものが込みあげてしまった。なんで俺なんかを息子のように優しく接してくれるのだろうか。ヨッパだったら抑えがきかず絶対号泣してしまうところだ。俺はかつて、このキャンプ場で朝食のおにぎりを作ってもらったり、おかずも差し入れてもらったり、無料で利用させてもらったり数知れずお世話になってきた。
「それなら、いいんだけどね。身体には本当に注意するんだよ」
 おばさんは、俺のジャンパーのポケットへお菓子をたくさん詰めた。
『ありがとう。じゃあ、また来ます』
 心配げなオフクロの顔が、暫くバックミラーに写っていた。

 帰路、またしてもスカイバレーはガスが立ち込めていたが、ヘアピンコーナーをてきぱきとクリアしながら曇天の米沢市外へと辿り着く。しかし、やっぱり上杉神社付近は大渋滞であった。
 ここらで、昼食にするか。上杉神社近くの洋食屋へ立ち寄る。老夫妻でやっているレストランである。そしてウエートレスでもあるオバサンへ米沢牛のステーキをオーダー。米沢牛など何年ぶりだろうか。宿に泊まらない分、いや、滋養をつけるために少しばかり贅沢をさせていただこう。ただ、オバサン、ミディアムとかレアとか焼き方をなんで訊かないのだろうか。ちょっぴり不安になってしまった。料金は安宿程度なら素泊まりできるぐらい投資しているのに。
 暫くして運ばれてきた米沢牛の250グラムのステーキのボリュームは圧巻だった。でも鉄板じゃなくサラ盛だったので少し冷えてしまっていたのが玉に瑕か。

 それにしても米沢牛の味は秀逸であった。ステーキ宮のランチステーキとは根本的になにかが違う。放牧された輸入牛と手をかけまくった国産牛との違いは歴然としていた。そんなことを思いながら食後のアイスコーヒーを啜ったキタノの姿あり。
 どうやら、ここのお店はオバサンたち女学校時代の同級生の溜まり場らしく色紙の文字やらなんやらの話題で盛り上っていた。でも昔の人は英文がとても苦手らしい。

「お客さん、私たちよりは随分若いんだから訳してくださらない」
 俺は文系だが、突然言われても英語はあまり得意ではない。学生時代、随分苦学した記憶があった。実は母親が高校の英語の教師だったのだが俺の人生とはほとんど関わりないと思われる。でもまあ、そんなに難しい英文ではないので、辞書なしでもすぐに意訳できた。
「凄い語学力ですね。ありがとうございます」
 オバサンたちは大喜びでアイスコーヒーをもう一杯ご馳走してくれた。

 そろそろ行くか!
「ずいぶん荷物が多いんですね」
『ええ、今朝まで裏磐梯でキャンプしてました』
「そうだったの。お気をつけてね」
『了解しました』
 ウエートレスのオバサンに見送られ、スロットルをあげる。

 R13に入り、いつものように栗子トンネル、東栗子トンネルも越えてフルーツラインへ入ると妻の待つ自宅も近い・・・などと思っていると雨がぱらついてくる。 

 家には書類を山ほど持ち帰っていた。今日中に処理しよう。選挙にも行かないと・・・

 夢のような世界から、あっという間に憂鬱な現実へと押し戻されていく筆者の姿あり。

 そして、夏らしさなどほとんどなく、北の大地へも還れなかった2009年の俺の夏は終わった。

 帰宅したとたんに本格的な雨となる。

 思えば、夏の終わりはいつもこんな雨模様ばかりだった気がした。



FIN



記事 北野一機



2009.9.5UP



HOME