喜多方ラーメンツーリング







2008.10.5



 久々に喜多方までラーメンツーへ行ってきた。

 朝9時、1999年の北海道ツーリングへ同行したヨッシーくんが、筆者の自宅まで往年のドラックスターでやってきた。さっそく家にあがってもらう。子どもの土産にとお菓子を差し入れていただく。ありがとうございました。

 女房にお茶を入れてもらい暫し歓談。しかし、ヨッシーとツーリングへいくのは実に8年ぶりか。海外協力隊で異国へ旅立っているうちに筆者は転勤してしまい、なかなか会う機会がなかった。

 ヨッシーは昨今、筆者の初期のツーレポや小説をふたたび読み返し、また北海道ツーリングへの情熱が再燃し始めたそうだ。さらに大型教習へもチャレンジしている。

 限定解除後はBMを購入したいといっていた。思えば、ヨッシーと一緒に旅をしていた頃が一番いい時代だったのかも知れない。現実から逃げようとは思わないが、今の世の中
ネットも含めて何かが狂っているような気がする。

 優しさというものがない。他人を蹴落としたり、匿名でばれなきゃなにをやってもよいという風潮だけが構築されつつある。ふと、そんな思いが脳裏をよぎった。

 10時前に拙宅を出撃。福島市内の裏道より、土湯街道へ入り、裏磐梯レイクラインの眺望を楽しみつつ料金所を通過。途中、少し紅葉が見られた。

『俺のライディングテクニックは確実に落ちている』
 道の駅でヨッシーへ呟いた。
「そんなことはありません。あの狭い山道でのキビキビとした走りは本物ですよ」
『実は俺、ストレスからかも知れないが、少し走行中の意識障害に悩まされているのだ』
 筆者は、ヨッシーにこの夏の日勝の怪の話をした。

 やがて喜多方市内へ・・・

 食べたラーメン屋さんは、喜多方ラーメンの元祖”源来軒”。これぞ喜多方ラーメンという味である。筆者は大盛をオーダーしたのだが、量が多すぎる。              







 ヨッシーは普通盛だったのだが、この大盛とのギャップはなんだ?支払いは、筆者がお手洗いにいっている間にヨッシーくんが済ませていた。
「昔、よくご馳走になっていた分です」
 と、彼は笑っていた。

 最近はご馳走してないぞと俺はいったのだが・・・

 まあ、とにかくごっちゃんです。次は筆者が持とう。帰路は、県道7号から猪苗代へルートをとる。

 道の駅つちゆで、また休憩。ヨッシーと話し込んでいると、
「誰か、オレのバイク、部品取りように買ってくれないかな」
 二輪で事故に遭い、バイクに乗れなくなったという初対面のオジサンが挨拶もせず強引に会話に割り込んできた。

 このオヤジは馬鹿なのか。今、筆者は、ヨッシーと普通に話し中なんだけど。なんで空気、いやさ、このわかり易い状況を読めないのかなと。結局、自分のことしか語れない、自分のことしか考えられないのだろうか。こんなことは絶対に旅の交流ではない。見知らぬ他人へのただの迷惑行為だ。

 北海道を旅していても、こういうタイプの中高年から無差別に話かけられ辟易とした経験が幾度もあった。しかも自分の職業をいわずに他人の職業を詮索する神経もまったくわからぬ。多分、若い頃にきちんと旅をした経験がないのだろう。熟年デビューで、なにか歯車が狂い、コミュニケーションの仕方に不具合が生じてしまったか?

 オヤジは一方的に喋るだけ喋り消えていった。まるで男のオバサンだ。筆者もコミュニケーションスキルが決して高い方だとは思えぬが、流石に経験値だけは豊富にある。とにかく最初は謙虚に無難にコミュニケートしていくのが交流の基本でありコツだろう。こればっかりは、旅をしない人に言っても理解できないことかもしれぬが。

 16:30 曇天で、土湯峠付近では酷い霧にやられたが、無事、自宅へ帰還。

 ヨッシーと再会を約束し、途中、別れた。

 心地よいツーリングを堪能でき、よい気晴らしになった。

 世の中が、どう変わろうが、俺の走りと生きざまは少しも変わっていない。

 また一緒に熱く駆け、キャンプしようぜ、ヨッシー!

 俺はなにもかもが、あの頃のまんまだ。



FIN



記事 北野一機



 2010.8.21編集



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