七ヶ宿カブツーリング







2011年7月2日、カブで七ヶ宿までツーリングをした記録



 メインマシンのゼファーは車検中だ。

 天気はいい。明日は仕事だ。ということはカブで、ひとっ走りしてくるか。

 早朝、自分自身の走り込みをきちんと済ませ、シャワーも浴びた。

 目的地は久々に七ヶ宿だ。8年ぶりぐらいになるか。蒸し暑い空気をぶっとばしながら、R13で飯坂温泉〜穴原温泉方面に右折した。

 しかし、人が少ない温泉街だのう。R399をどんどん走り、福島県と宮城県の県境あたりの茂庭地区へ入った。道が狭くなり、左側が崖の怖い道を走行していると、なにか動く者が2つ?

 お猿さんだよう♪

 茂庭は、猿ばかりかたくさんの熊やカモシカも生息する福島市の野生の王国なのだ。昔は、亡き義父やその友人の方たちと、よくこのあたりまで渓流釣りに来ていたので、土地勘は充分ある。
 なんて思いながら民家のない山道をひた走っているうちに宮城県側へ入り、小さな集落も見かけるようになってきた。

 風景もなんだか昭和だねえ〜
 暫く走るとR113(七ヶ宿街道)にぶつかったので右折した。しかし、風景が日本の伝統的な農村という感じでとても心地よかった。

 昼食は、これまた久々に手打ちそばで有名な吉野家にしよう。
 画像は、吉野屋ではなく向かいの安藤さんのお宅でした。いやあ〜、これは昭和どころか江戸時代の世界である。文化財に指定されていると確信しました。このあたりは幕府直轄地(天領)だったので、幕府の役人がよくやってきたそうです。  
 幕府の役人って、松平片栗粉?

 なんてそんなワケないか。筆者はアニメの見過ぎのようだ。170年前に安藤邸へ泊まった幕府の役人に出した料理のレシピの古文書が発見されたそうだ。

 昔の人は、動物性たんぱく質をほとんどとらないベジタリアンだったのね。大根とか山芋とか、そんなのばっかりだった。というより現代人の食の方が不健康なのはよくわかった。
 肝心の吉野屋では、天ざる大盛をオーダーした。まだ12時前だったので、お客さんも1組しかおらず、すぐに天ざるが運ばれてきた。
 手打ちそば、コシがあって非常に美味しかった。

 ただ・・・

 大盛蕎麦と天婦羅のボリュームが凄く、天婦羅をかなり残してしまうも、お持ち帰り用のパックがあるので、お土産にした。
 吉野屋店内もかなりレトロな飾りがかけられていた。

 う〜ん、本日2度目の昭和だ。
 
 お腹ぱんぱんで、暑い白石に出て、R4に入った。白石藩1万5千石といえば勇将片倉小十郎が藩祖だ。二代目片倉小十郎は、大阪夏の陣で敵将真田幸村から託された実娘(阿梅)を正室としたエピソードもあり。敵将の娘をめとることによって生じる幕府からの後難など、まったく意にも介さない男気あり。

 幸村の二男である守信(阿梅の弟)も小十郎によって保護され、仙台真田家(仙台藩士300石)が発祥し、現代にまで子孫が残る。

 さらに片倉家は東北の盟主伊達軍団の先鋒部隊を戦国時代から戊辰戦争に至るまで務めた。

 ちなみに福島県相馬地方を治めていた相馬氏は、伊達氏と犬猿の仲だった。新地(震災で駅や列車も津波にのみこまれました)という相馬藩固有の領土も占領されてしまったし。

 ところが、関ヶ原で西軍についた相馬家は、幕府から一時断絶されてしまった。

 がっ・・・

 かつての仇敵だったはずの伊達政宗が相馬家再興の運動を始め、本当に復活させることに成功した。

 伊達政宗公の尽力に男気あり。

 ちなみに国の重要無形文化財の相馬野馬追いも津波・原発事故の被害に遭いながらも決行(規模は小さくなるが)するそうだ。

 相馬家は、平将門公を始祖とする名家なんです。

 なんて大日本史の時代の変遷を回想しながら、帰福する。

 しかし、本当に暑かったぜよ!



FIN



記事 北野一機



2011.7.16編集



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